はじめまして、ご覧下さりありがとうございます。
2020年に東京の赤坂・溜池山王〜南熱海から、さいたま市浦和へトルコ料理アセナを移転オープンさせましたトラン綾子です。
夫のトルコ人オーナーシェフ、トラン・レベントとお店を切り盛りしています。
2007年生まれの娘ネスリン、2013年生まれの娘エスラとの4人家族です。
トルコとの出会い
トルコとの出会いは1994年のこと。
当時、多摩美術大学の2年生だった私は、大学が企画した「ヨーロッパ美術の旅」という、ヨーロッパ諸国10カ国を1ヶ月かけて巡る旅に参加しました。
その10カ国の中にトルコが含まれていたのです。
イスタンブールに2日間と短い滞在でしたが、他のヨーロッパの国の雰囲気とは全く違うイスラム文化や、トルコの人々の温かさに触れとてもいい国だなぁと好印象を持っていました。
その後数年は、特にトルコに関わることはありませんでした。
小学生の頃に大ファンだった漫画家、高橋由佳利先生の「トルコで私も考えた」というエッセイ漫画を愛読していたくらいで…。
どちらかというと、トルコの隣国であるブルガリアの方に興味が行っていました。
トルコにハマったきっかけ
「トルコ」という国にハマった直接のきっかけ、それは2002年に日韓で行われたサッカーワールドカップの時に、トルコ代表チームを応援しようと決めたからでした。
トルコを応援すると決めたのは、本当に何となく直感からだったのですが、トルコチームはあれよあれよと勝ち上がり、遂に決勝トーナメントで日本代表と対決…。
私はいうと、もちろんトルコを応援。大会が進むにつれ、日本でも大ブレイクしたイルハン・マンスズ選手をはじめとする個性豊かなメンバーが揃ったトルコ代表の魅力のトリコとなっていたからでした。
(特にエムレ・ベロゾール選手とオカン・ブルク選手が大好きでした💧)
最終的に、トルコは堂々の3位。快進撃の活躍を見せてくれました。
単身トルコへ
ワールドカップが終わっても、私のトルコへの情熱は収まることはありませんでした。
「またトルコに行ってみたい」という気持ちが日増しに強くなり、まずはトルコ語をマスターするため都内のトルコ語教室に通い始めました。
と、同時に都内にあるトルコ料理レストランにもあちこち通うようになり、ケバブや野菜やヨーグルトをたっぷり使ったトルコ料理が大好きになってしまいました。
トルコ語を習いはじめてわずか半年で、単身トルコへ旅行しました。道中の会話は全てトルコ語で通しました。
私は英語が出来ないので、トルコ語を話すしかなかったことが良かったのだと思います。
赤坂アセナへ
そんな時、トルコ語学校で赤坂のトルコ料理アセナのアルバイトスタッフ募集の張り紙を見て、すぐに応募。
次の日からアセナで働くようになったのでした。
2003年11月のことです。
最初にオーナーのレベントに会ったときは、何となく怖そうな人だなぁというのと、年齢不詳な感じ…という印象でした。
でも、レベントの作るトルコ料理が今まで食べたどのトルコ料理よりも美味しいと思いました。
こんな料理が作れるなんて、この人はタダ者ではないと、その時に感じたからでしょうか。
以来ずっと私はアセナで働いています。
レベントとは、2007年に結婚。
娘のネスリンが産まれました。
アセナを一人前の店にするためあらゆることにチャレンジしました。
トルコワイン会、丸ごと羊一頭買いパーティ、ベリーダンスパーティ、世界遺産に登録されたトルコ料理を再現…などなど、たくさんのお客様に出会い、そのすべての経験が私たちにとって大切な宝物でした。
夫レベントが2011年に生死をさまよう病に倒れてからは、今後の将来について深く考えるようになりました。
東京の真ん中でお店を運営していくのは大変な激務です。お店の家賃、人件費など毎月莫大な固定費がかかるため、レベントは昼も夜も毎日休みなく働いていました。
赤坂アセナは素晴らしいお店になった、しかし同時に長く続けていくことは難しいだろうとも感じていました。
車であちこちの場所を旅して巡る中で、穏やかな環境のある南熱海の地を見つけ、赤坂の店を閉め家族と共に移住する決意をしました。
熱海へ
熱海に移り住んでからは、自分たちで畑を耕し、薪を割り、ニワトリや猫を飼い、自然と触れ合いながらのんびりと生活をスタートさせました。アセナを復活させるため、店の設計やデザインはレベントが考え、2016年にようやく南熱海・アセナをオープンさせることができました。
自分で育てた野菜やハーブ、産みたての卵を使い、東京にいた頃よりもレベントの料理は更に進化しています。レベントの作るトルコ料理をたくさんの人に食べてもらいたい、アセナにいらしたみなさんに喜んでもらいたい、そんな思いで毎日頑張っておりました。
夫レベントが元気を取り戻し、子供達が成長して大きくなるにつれ、子供達の学校環境についての悩みが出てきました。
育った街、浦和へ
2人の娘たちがそれぞれ、中学校、小学校へ入学するタイミングで、実家のあるさいたま市浦和に戻り、店を再オープンさせることに決めました。
しかし、そんな折新型コロナウィルスの感染拡大により、学校は休校、トルコ料理アセナの店もなかなかオープンさせることができずにおりました。
その間も店舗として借りた物件の家賃を払い続けなければなりません。
店舗の賃貸契約の初期費用、店の内装工事費…多額の資金が必要で、もう自分たちの手持ちのお金はほぼ底をついてしまっていました💧
夫の乗っていた車も売却し、私と子供達は実家に身を寄せて暮らすことになりました。
本当に苦しい状態でも、なんとか店を始めなければなりません。
先行きが見通せない中で、5月からまずはテイクアウトから営業を開始、
それからランチをスタート、その後ディナーの営業も開始いたしました。
浦和ではまったく馴染みのないトルコ料理というジャンルが受け入れられるかどうか?
正直なところ、かなり不安はありました。
店舗も1階ではなく3階なので、なかなか入りづらいよなぁ〜なんて思います。
アセナのトルコ料理とは
でも、夫レベントの作るトルコ料理、これは唯一無二であることは間違いありません。
アセナのトルコ料理は、日本にある他のどのトルコ料理店の出している料理とも違います。
たとえ、メニュー名が同じであっても、使っている素材、作り方、料理の見た目、テクニック…全てにおいて別物だと思いますし、誰にも負けない自信を持っています。
国内外、あちこちのトルコ料理店を食べ歩いてきた私だからこそ、余計にレベントの凄さがわかるのです。
(自分の店だから良く言っている訳ではありません。正直に言って、夫レベントは人間的に如何なものかと思う部分が多々ありますし💧 お互い同じ仕事をしていることから衝突は日常茶飯事です。なので、夫を簡単に褒めたくはない😅 悔しいけれど、こと料理に関して「だけ」は、認めざるえないのです)
私たちは、飲食店の激戦地、東京・赤坂で長年営業し、たくさんのお客様に支持されてきた実績があります。
これまでは埼玉でトルコ料理を食べるには、東京まで出て行くか、トルコ現地に行くくらいしか手段がありませんでしたが、もうそんな心配はありませんよ。
皆様に浦和でお目にかかれるのを楽しみにしております。
最後までお読みいただきありがとうございました。
現在の活動
トルコ料理アセナの店舗運営のほか、トルコ料理の研究がライフワーク。
「日本ではあまり知られていないトルコの食文化」をお店やブログ、メディア等を通じて広くお伝えしていくことを使命としています。
店舗経営者&WEBデザイナーとしての経歴を生かし、店舗経営者やひとり起業家のためのワードプレスによるホームページ制作、名刺デザイン、チラシ制作、LP制作などを得意としております。
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